体も心も女だけど、女の子として生きなきゃダメですか?
わたし、ずっと抱えている
「嫌なこと」があるから言いたい!
「女の子らしく」することや
「女の子」として比較されること
それらが気持ち悪くってむず痒い!
「女の子=かわいい」であるとする考え方は、
古いのかもしれないけど実際にはあると思うの。
そこの軸に自分を当てはめて考えることが、
この世で最も女性の肯定感を剥いでいる気がする。
それくらい誰かと女らしさ、可愛らしさを
競おう・比較しようとする事が気持ち悪い。
なんでか。
そう思って、しっかり考えた。
「その市場で自分の勝ち目がないから?」
「可愛い=お金をかけてることに繋がるから?」
「肯定感低すぎて素直に可愛いを受け取れないから?」
などなど…考えたくもない痛い事が沢山でてきた。
血ヘドを吐き散らしながら考えた結果
「かわいい女の子を目指しているわけじゃないから、そこだけで比べられたら腹が立つ」
ところにしっくりきた。
かわいい女の子を見たとき、
「あ、かわいいね!」と言えるのは
自分とその子が全く違う世界を生きている
と認識しているからなの。
そう思えなければ、嫉妬嫉妬嫉妬の嵐で
この地球はたいh…(ry
別に全女子がいわゆる「女の子」を
目指しているわけじゃない。
◇分かっていたいポイント①
「全女子がいわゆる女の子になりたいわけじゃない」
でも、、、
とってもめんどくさい事に
私たち女子の心は「女の子」である
という大問題がある。
外見や服装、仕草や行動など
特に可愛いとかは目指してなく、
ボーイッシュでサバサバ系かな~って
見た目でも中身は「女の子」そのもの。
だからね、じぶんなりの
身も心も綺麗でありたい、
という気持ちは十分にある。
それなりにこだわりを持って頑張っている。
それを褒めてほしいの……!
うるうる🥺しながら待ってるのいつも!
つまり、その人なりの
「かわいい」があるってことなのだ!
◇分かっていたいポイント②
自分なりの「かわいさ」「こだわり」を持っている!それを褒められたい…!(あぁ、もう気づいて!)
さらにこの問題は…
複雑だし、しなやかだし、
まどろっこしいもんなんだ!
と理解してほしい。
複雑さを詳しく説明すると、たとえば
「ここは女の子らしくありたい」と思うシーンやポリシーがあれば「ここは男の子らしくいたい」という瞬間もある。
その日の服装やメイクでも変化する。
わざと変化させて引き締める時もある。
そういう使い分けを常にしながら強く生きているのだ。
とてもしなやかにね!
だから時々「女として〇〇」系の言葉はまじf**kだと思う。
個人的には凄まじくドロついた感情を抱きつつ、
「あなた可哀想な人だわね、オホホホホホホ」
と思うようにしている。
例)
「女としてそれはないわ…(素直になれよ的な)」
→はい?あなたは何様ですか?
「女として見れない」
→はい、また比較~。見んなっ!あほ!すけべ!
など。
わざとこちらがそうしている事もある。
そうじゃないと、自分の中身で評価されない
ような気がするから。
一番タチが悪いのは
逆にその隙間に入って、分かったふりして
中身の女の子を傷付けてくる言動をする人。
まあ、それはさておき。
◇分かっていたいポイント③
女にもなれるし、男にもなれる。
それらを上手に使い分けながら生きている。
もちろん素直になりたくても、
いつもと違う自分の一面を出すことは
とても緊張するし、なかなかできないって事もある。
でもそういうのを、無理矢理に出さなくとも
あなたは十分女の子として生きている…!
奥深くにしまっちゃった、か弱い女の子は
心から信頼できる人にしか見せられない。
そう!大事な大事なところなんです。
だから簡単に「女の子らしさ」を
「かわいい」に押し当て込んで、
表面的な、見た目や言動で人を
判断してほしくない。
そしてちゃんと人としての、
こだわりを見てほしい。
いろんな「かわいい」がある。
そう思える人が増えたらきっと、
なんだかホッと救われた
気持ちになる女の子がいるはず。
男の子だって多分そういうところもあるはず。
男らしくないとか言われて傷付くとかね。だからどんな事でお互い嫌な気持ちになっているのか、ちゃんと話したい。
外見も内面も、誰だって中性的に男と女を行ったり来たりしていい。むしろそうやってしなやかに生きた方が、生きやすいと思うんだ。
人を型に押し込めない。
見た目で判断しない。
なんて小学生くらいで教わることが
できていないのが世の中で。
そういう人として基本のキをわきまえて
行動するのが大人なのだなと思った今日この頃。
おしまい。
カメラマン 山田浩太
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「大好きな人たちと長い時間を過ごせるのは最後だ」と思ったら、旅に出てた。
同じ家で暮らしているその人達とは、
ふつうの友達と比べたら一緒にいる
時間は長いと思います。
でも一人一人が取り巻く環境は
年を追うごとに変化するもの。
引越すかもしれないし、
時間が取れなくなるかもしれない。
全員が大体同じような時間軸で
生きていることなんて奇跡に近い。
そう思ったら一分一秒が愛おしくて。
ただ刻一刻と変化する状況を飲み込みながら
チャンスをずっと狙っていたのです。
その大好きな友人たちの人間性に浸り、
それぞれの絵の具を混ぜ合うような旅が
したかったのです。とても。
仕事にも追われず、自分達のタイミングで
生きて、食べて、笑って、眠って。
今の私たちにとっては日常の延長線上だけれど。
「この人達との時間を楽しむ」と
それだけに意識できる旅という手段は、
とても幸せで活力を奮い立たせてくれました。
時に互いに傷つけ合うこともあるけれど、
このコンテクストが修復してくれるはず。
かけがえのない思い出を臆することなく、
人との間に描いていくことが関係性を深めるんだな。
奥深くから繋がりを感じられるから。
何があっても乗り越えられる関係性は、
お互いの精神的なセーフティネットに
なるんだと思う。
死ぬ時に持っていけるものはお金でもなく、
名声でもなく思い出だけだと言うけれど。
ちゃんと魂に刻み込むような記憶を
自分でデザインして進んでゆく。
長期休暇を取ることは働き始めたら、
むずかしいよりも、めんどくさくなる。
誰かに引き継がないといけなかったり、
休んだ分の生活は大丈夫かな?とか。
だから「これが最後だな」なんて
思ったりもする。
本当は何歳になっても
こんな風に楽しむことはできる。
だからみんなにはいつも言う。
「一生青春だよ」と。
感動できる人生をこれからも歩みたいなぁと
幸せだなぁと思う旅だったのです。
また15年後に台湾で集まりたいね、なんて
屋台でにやにや話をしました。
また行こうね。
シェアハウスの住人達との
— あべあいり✏️よく綴ってます (@Airi_abe) 2018年11月18日
台湾旅行1日目✈️
昨日の夜から来てるこうたと
朝からたらふく食べた🍜
酔い潰れて早朝フライトを
逃した平田さんと合流。
ちひろと台湾に留学中の
いろはすと合流して、夜市へ🍺
いよいよだ…! pic.twitter.com/WsiUVXPuLI
順調にお腹はち切れるくらい食べて、観光して、酔い潰れるという日々を過ごしております。 pic.twitter.com/ykR0913KRj
— あべあいり✏️よく綴ってます (@Airi_abe) 2018年11月20日
食べて笑って眠るだけの数日間を素敵な親友たちと一緒に過ごしました。正直言って一緒に住んでいるので日常の延長線上な感覚だったけど「この人たちと一緒にいる」事だけに集中すると何百倍も楽しい時間になるんだなぁって事を学んだ。そんなあたくしは、みんなとバイバイしてベトナムに向かいます🇻🇳 pic.twitter.com/lOivP2DB1G
— あべあいり✏️よく綴ってます (@Airi_abe) 2018年11月20日
「分断を深める」言葉よりも「繋がりを回復」させる言葉を
30代のための新しい社会文芸誌「たたみかた」
という文芸誌を読んでいて、素敵な考え方に出会いました。
“SNS上の強い言葉に触れたとき、僕たちは『能動でも受動でもない場』にふっと落ちてしまっている。『情動』に突き動かされるって、そういう状態なんです。”
たいして頭では考えず、血が上った瞬間にするRTを
普段わたしはしてしまうことがあります。
わたしはRTをして「してやったり」という気持ちになることがありました。
ああ、これぞ、暴力的なコミュニケーションだなぁ…。
人を巻き込んでおきながら、トピックのど真ん中を捉えられない乏しさ。というか。
それを象徴するような出来事は現実に
わたしの周りでたくさん起こっていました。
***
わたしは男女12人のシェアハウスで暮らしているんだけど
なんだかんだ、とても男女の分断が激しい時期がありました。
自分の身近な人の「仲が悪い」状態が私にとっては大きなストレスで。
何ができるのかは分からないけど、自分がコミュニティ(トピック)の中心に
なることによって変わることがあるかもしれないと思ったんです。
とはいえ、何をしたわけでもないですけど。
まずは情動的に人を叱ることをやめましたし、
フォローする言葉をかけるようにしました。
生活を共にすると色んな問題が出てくるけれど、
それを頭ごなしに叱らず、どうしたら良いのかを
一緒に考えていくスタンスを取り続けました。
色んなことがあって、わたしもパンクすることがあったけど…笑
そんな時、若干言いづらいことを言葉でズバッと伝えられたとき。
「あぁ、これも優しさなんだよな」って思ったんです。
だから「一緒に考えて欲しい」というスタンスで助けを求めたんです。
そうしたらそれぞれが「優しさや頑張りを認められた」と思ってくれた。
最初のターニングポイントでした。
あとは分断の穴埋めとして一人ひとりと密にコミュニケーションを取りました。
「他人の他人は自分」ですから心を開いて、とにかく話してみることに。
すると、やっぱり信頼関係ってできてくる。。
「わたしの大好きな人を大好きになって!」という気持ちで、
一緒に住んでいる家族の話をしていきました。
するとみんな一旦自分の事だと思って、周りの人のことを考えてくれる。
意識的にそうしているけれど、徐々に無意識にその人のことが分かってくるように。
だからコミュニケーションが生まれてくる。
いつの間にか、わたしにとってもみんなにとっても、
一緒に住んでいる家族が、かけがえのないものになってきました。
***
“自分が今、吐こうとしている言葉や行いは『分断を深める』のか? それとも『繋がりを回復する』のか? と常に問うことが重要だと思うよ。”
禅僧 藤田一照さんの言葉。
「あぁ、すんごいそれだ」と思いました。。。
普段のコミュニケーションで、他人の問題を指摘する時、
申し訳ないと思う時ほど、エネルギーが必要になることはないですよね。
お互いに気にしないことはできない。
だから「言う」んですが。
でもそれだって、暴力的なコミュニケーションを用いなくてもできるんです。
問題解決にはいつだってユーモアが必要だと思うんです。
と思って、ふわっと浮かんだのが
「#我が家にお母さんはいません」でした。笑
何かちょっと困ったことがあったら注意するのではなく、
ハッシュタグで知らせる。
自分ができれば「母活」をして、できなければ
誰かが「母活」をするor本人が対応する。
「指摘し合うのではなくユーモアで解決」を試みてみました。
「自分が吐いて繋がりが回復するような言葉を」の体現です。
***
人と人を仲良くさせることや、
一人ひとりとのコミュニケーションをとることは
割と得意になってきたんじゃないかな?と思います。
今度は「一人ひとりの言葉で繋がりを回復すること」を目標に
自分と周りを巻き込んだ在り方を模索していきたいです!!
「たたみかた」素敵な言葉をありがとう。