あべあいりの悶々MON!

美味しいものをたくさん食べてすくすく育ちました。 「書いて育つ子」になるために、悶々をもっと 言葉にしていきたいと思います。ときどきポエマー。

茨木のり子/作『さくら』

 今年も生きて

 さくらを見ています

 ひとは生涯に

 何回ぐらいさくらをみるのかしら

 ものごころつくのが十歳ぐらいなら

 どんなに多くても七十回ぐらい

 三十回 四十回のひともざら

 なんという少なさだろう

 もっともっと多く見るような気がするのは

 祖先の視覚も

 まぎれこみ重なり合い霞(かすみ)だつせいでしょう

 あでやかとも妖しとも不気味とも

 捉えかねる花のいろ

 さくらふぶきの下を ふららと歩けば

 一瞬

 名僧のごとくにわかるのです

 死こそ常態

 生はいとしき蜃気楼と

 

大好きな大好きな茨木のり子さんの詩。

きっかけは中学の国語の教科書で、『わたしが一番きれいだったとき』という詩に出会ったことでした。

なんとなくすごい体験をした人なんだなーと思っていたけど、震災があって「あ、こういうことか」と思って。

そこからこの方の詩には何度もつぶやいては救われてきたなぁ。

 

そして今日も、毎年3月11日にふっとつぶやいてしまうこのうたを、なんとなくいまな気がしてつぶやいてみる。

 

生はいとしき蜃気楼と。