「分断を深める」言葉よりも「繋がりを回復」させる言葉を
30代のための新しい社会文芸誌「たたみかた」
という文芸誌を読んでいて、素敵な考え方に出会いました。
“SNS上の強い言葉に触れたとき、僕たちは『能動でも受動でもない場』にふっと落ちてしまっている。『情動』に突き動かされるって、そういう状態なんです。”
たいして頭では考えず、血が上った瞬間にするRTを
普段わたしはしてしまうことがあります。
わたしはRTをして「してやったり」という気持ちになることがありました。
ああ、これぞ、暴力的なコミュニケーションだなぁ…。
人を巻き込んでおきながら、トピックのど真ん中を捉えられない乏しさ。というか。
それを象徴するような出来事は現実に
わたしの周りでたくさん起こっていました。
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わたしは男女12人のシェアハウスで暮らしているんだけど
なんだかんだ、とても男女の分断が激しい時期がありました。
自分の身近な人の「仲が悪い」状態が私にとっては大きなストレスで。
何ができるのかは分からないけど、自分がコミュニティ(トピック)の中心に
なることによって変わることがあるかもしれないと思ったんです。
とはいえ、何をしたわけでもないですけど。
まずは情動的に人を叱ることをやめましたし、
フォローする言葉をかけるようにしました。
生活を共にすると色んな問題が出てくるけれど、
それを頭ごなしに叱らず、どうしたら良いのかを
一緒に考えていくスタンスを取り続けました。
色んなことがあって、わたしもパンクすることがあったけど…笑
そんな時、若干言いづらいことを言葉でズバッと伝えられたとき。
「あぁ、これも優しさなんだよな」って思ったんです。
だから「一緒に考えて欲しい」というスタンスで助けを求めたんです。
そうしたらそれぞれが「優しさや頑張りを認められた」と思ってくれた。
最初のターニングポイントでした。
あとは分断の穴埋めとして一人ひとりと密にコミュニケーションを取りました。
「他人の他人は自分」ですから心を開いて、とにかく話してみることに。
すると、やっぱり信頼関係ってできてくる。。
「わたしの大好きな人を大好きになって!」という気持ちで、
一緒に住んでいる家族の話をしていきました。
するとみんな一旦自分の事だと思って、周りの人のことを考えてくれる。
意識的にそうしているけれど、徐々に無意識にその人のことが分かってくるように。
だからコミュニケーションが生まれてくる。
いつの間にか、わたしにとってもみんなにとっても、
一緒に住んでいる家族が、かけがえのないものになってきました。
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“自分が今、吐こうとしている言葉や行いは『分断を深める』のか? それとも『繋がりを回復する』のか? と常に問うことが重要だと思うよ。”
禅僧 藤田一照さんの言葉。
「あぁ、すんごいそれだ」と思いました。。。
普段のコミュニケーションで、他人の問題を指摘する時、
申し訳ないと思う時ほど、エネルギーが必要になることはないですよね。
お互いに気にしないことはできない。
だから「言う」んですが。
でもそれだって、暴力的なコミュニケーションを用いなくてもできるんです。
問題解決にはいつだってユーモアが必要だと思うんです。
と思って、ふわっと浮かんだのが
「#我が家にお母さんはいません」でした。笑
何かちょっと困ったことがあったら注意するのではなく、
ハッシュタグで知らせる。
自分ができれば「母活」をして、できなければ
誰かが「母活」をするor本人が対応する。
「指摘し合うのではなくユーモアで解決」を試みてみました。
「自分が吐いて繋がりが回復するような言葉を」の体現です。
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人と人を仲良くさせることや、
一人ひとりとのコミュニケーションをとることは
割と得意になってきたんじゃないかな?と思います。
今度は「一人ひとりの言葉で繋がりを回復すること」を目標に
自分と周りを巻き込んだ在り方を模索していきたいです!!
「たたみかた」素敵な言葉をありがとう。