あべあいりの悶々MON!

美味しいものをたくさん食べてすくすく育ちました。 「書いて育つ子」になるために、悶々をもっと 言葉にしていきたいと思います。ときどきポエマー。

「分断を深める」言葉よりも「繋がりを回復」させる言葉を

30代のための新しい社会文芸誌「たたみかた」

という文芸誌を読んでいて、素敵な考え方に出会いました。

 

SNS上の強い言葉に触れたとき、僕たちは『能動でも受動でもない場』にふっと落ちてしまっている。『情動』に突き動かされるって、そういう状態なんです。”

 

たいして頭では考えず、血が上った瞬間にするRT

普段わたしはしてしまうことがあります。

 

わたしはRTをして「してやったり」という気持ちになることがありました。

 

ああ、これぞ、暴力的なコミュニケーションだなぁ…。

人を巻き込んでおきながら、トピックのど真ん中を捉えられない乏しさ。というか。

 

それを象徴するような出来事は現実に

わたしの周りでたくさん起こっていました。

 

***

 

わたしは男女12人のシェアハウスで暮らしているんだけど

なんだかんだ、とても男女の分断が激しい時期がありました。

 

自分の身近な人の「仲が悪い」状態が私にとっては大きなストレスで。

何ができるのかは分からないけど、自分がコミュニティ(トピック)の中心に

なることによって変わることがあるかもしれないと思ったんです。

 

とはいえ、何をしたわけでもないですけど。

 

まずは情動的に人を叱ることをやめましたし、

フォローする言葉をかけるようにしました。

 

生活を共にすると色んな問題が出てくるけれど、

それを頭ごなしに叱らず、どうしたら良いのかを

一緒に考えていくスタンスを取り続けました。

 

色んなことがあって、わたしもパンクすることがあったけど…笑

そんな時、若干言いづらいことを言葉でズバッと伝えられたとき。

「あぁ、これも優しさなんだよな」って思ったんです。

 

だから「一緒に考えて欲しい」というスタンスで助けを求めたんです。

そうしたらそれぞれが「優しさや頑張りを認められた」と思ってくれた。

最初のターニングポイントでした。

 

 

あとは分断の穴埋めとして一人ひとりと密にコミュニケーションを取りました。

「他人の他人は自分」ですから心を開いて、とにかく話してみることに。

 

すると、やっぱり信頼関係ってできてくる。。

 

「わたしの大好きな人を大好きになって!」という気持ちで、

一緒に住んでいる家族の話をしていきました。

するとみんな一旦自分の事だと思って、周りの人のことを考えてくれる。

 

意識的にそうしているけれど、徐々に無意識にその人のことが分かってくるように。

だからコミュニケーションが生まれてくる。

いつの間にか、わたしにとってもみんなにとっても、

一緒に住んでいる家族が、かけがえのないものになってきました。

 

***

 

“自分が今、吐こうとしている言葉や行いは『分断を深める』のか? それとも『繋がりを回復する』のか? と常に問うことが重要だと思うよ。”

 

禅僧 藤田一照さんの言葉。

「あぁ、すんごいそれだ」と思いました。。。

 

普段のコミュニケーションで、他人の問題を指摘する時、

申し訳ないと思う時ほど、エネルギーが必要になることはないですよね。

 

お互いに気にしないことはできない。

だから「言う」んですが。

 

でもそれだって、暴力的なコミュニケーションを用いなくてもできるんです。

問題解決にはいつだってユーモアが必要だと思うんです。

 

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と思って、ふわっと浮かんだのが

「#我が家にお母さんはいません」でした。笑

 

何かちょっと困ったことがあったら注意するのではなく、

ハッシュタグで知らせる。

自分ができれば「母活」をして、できなければ

誰かが「母活」をするor本人が対応する。

 

「指摘し合うのではなくユーモアで解決」を試みてみました。

「自分が吐いて繋がりが回復するような言葉を」の体現です。

 

***

 

人と人を仲良くさせることや、

一人ひとりとのコミュニケーションをとることは

割と得意になってきたんじゃないかな?と思います。

 

今度は「一人ひとりの言葉で繋がりを回復すること」を目標に

自分と周りを巻き込んだ在り方を模索していきたいです!!

 

「たたみかた」素敵な言葉をありがとう。