振り返りたくないなぁ、2019年。
振り返りたくもない年を振り返ると。正直、どんな年?と聞かれたら一言「別れ」と本当は言いたかった。
考えているフリをして、本当は一目散にこの言葉をピックアップしていたのに出さなかった人達、ごめんなさい嘘つきました。
あたしの大好きなおばあさんが居なくなってしまった。
人生でいちばん来て欲しくない瞬間で、
それがまさか今年だったとは分からなかった。
直後に後悔なんぞ残っていなかったのに、後になればなるほど後悔らしいものが出てきてしまう。
本当のことを言うと、あれから毎日思い出しては泣いている。
生まれてから24年間、本当に最期の最期までとてつもなく愛してくれていた存在が居なくなるというのは、こんなに悲しいことらしい。
生きれている自分が不思議なくらい、小さい頃からこの日だけは来て欲しくないと願って生きてきた。
この人がいなくなったらあたしの歯車が止まるとか、おかしくなるとか思ってた。ずっと小さい頃から。
でもおかしくなんなかった。悔しい。
おかしくなんなくて、なんならすぐに自分の生活が始まった。いつも通りに始められた。それがもうおかしい。
悔しい。ならばおかしくなってしまいたかったくらい、でもおかしくならなかったし、ちゃんとあたしはあたしだったし、なんならその辺の人よりちゃんとしている。
止まるだろうと思ってた歯車は回り続けている。思っていたのと違った。
想像することが怖すぎて避けてきたし、認められなかったのになぁ。
あたしのこの思いの真ん中には「おばあさんに愛されたい」と思っているんだと思う。
人生の中の至るところに散りばめられた些細な思い出の細部にあった愛情を、何気なく全身で浴び続けるってこととか
手の感触とか、眼差しとか、声とか、空気とか、全部あたしにとっての愛情のあり方として記憶されていることとか
もう悔しい。叶わないことが悔しい。誰がなにをどう頑張ってもお金があっても何があっても叶わない。
あっという間だったな。生まれてから今まで。
まだまだあるけど、きっとあっという間に長かったって思うんだろうなぁ。
そして死ぬ事は本当に幸せな事なんだろうなぁと思うし、今までやってきたことが全部分かることでもあるんだろうなぁと思えるようになった。
愛というのは誰にでも捧げるはずで、あたしはその片棒を担いだんだ。2019年の夏に。
ほとんど今年のあたしの思い出は、あなたとの時間です。旅行に行ったことでも、引越したことでも、仕事でもなく、大学でもなく、
本当に数ヶ月一緒にいた時間の中で、つくった最期の思い出で。
雨の夜中の散歩とか、トイレ行ったり、病院行ったのに抜け出して勝手に帰ってたり、汚い部屋見せられたり、うちの庭で土いじってたり、歩けるのに歩けないふりしてたり、ご飯食べないって怒ったり、夜中に何度も起きてたり、あたしの服隠してたり、同じこと何度も言ってたり、夜中に外出る準備して車椅子に座ってたり、そんな事がもう全部全部全部。
はぁ、疲れた、泣きすぎた。目になんか入って痛い。鼻水もつまった。
今日はいつもよりいっぱい思い出したら、スカッとした。すっきりした。
たくさん泣いてたら頭が熱くなって、きゅっと締め付けたらゆるくなって、なんだかリラックスできて落ち着いた。
わたしは2019年嫌いだけど、好きだ。振り返りたくない事実が邪魔するけど、あたしはちゃんと悔いなく良い決断をした。
そして周りにいる人達が、あたしが発する言葉の、それ以上の意味を汲み取ってくれて行かせてくれたことが何より。
素直に色んなこと言えなかった、できなかったことはかっこ悪いし振り返りたくはないけど、本当にありがとうございます。
もう寝ます。今年もよろしくお願いします。