あべあいりの悶々MON!

美味しいものをたくさん食べてすくすく育ちました。 「書いて育つ子」になるために、悶々をもっと 言葉にしていきたいと思います。ときどきポエマー。

どんな仕事がしたいのだろう。

どんな風になりたいかというのは、明確にせずとも自分の中にある時と。全くイメージさえもない時、というのが意外と並走的に存在している。

 

やっと大学を卒業して、働き始めて1ヶ月ほど。仕事と言えど、初日からリモートワークで社会人になったと言えるほどの実感はない。

数えられるほどしか化粧はしていないし、バッチリな服装ももうずっとやっていない。

すっぴんでいることが常で、もうMTGもすっぴんで恥ずかしげもなく出ている。

 

そんなこんなでわたしは社会人になった。

 

新型コロナという脅威は、いろんな物を奪うけど。その分、ピンチをチャンスにしている人だって数多く存在している。すごいことだし、意外と皮肉だ。

 

ピンチはチャンスということで話すと、今自分のキャリアが分からなくなってきている。きっとリモートワークで周りの人達の仕事ぶりが見えて、焦っているのかもしれない。

 

わたしはどんな大人になりたいのか。

何がしたいのか。

何ができるようになっていて、どんな仕事に囲まれていたいのか。そもそも仕事は好きなのか。

 

あんまり実はぼんやりと見えていそうでいなかったことを、そろそろ本気で考えて過ごさないと20代はあっという間に過ぎ去っていって、どうしようもない時間になってしまう。

 

そういう焦りがあって、落ち込む。何も見えなかったかもしれないけど、今は見える。

 

仕事のやり方は自分で考えて、デザインしなければ身にならない。言われたことばかりではなく、それ以上のことまで考えなければならない。そうやって積み重ねて頭を作っていくのだなと、メモを残しておきます。

振り返りたくないなぁ、2019年。

振り返りたくもない年を振り返ると。正直、どんな年?と聞かれたら一言「別れ」と本当は言いたかった。

 

考えているフリをして、本当は一目散にこの言葉をピックアップしていたのに出さなかった人達、ごめんなさい嘘つきました。

 

あたしの大好きなおばあさんが居なくなってしまった。

 

人生でいちばん来て欲しくない瞬間で、

それがまさか今年だったとは分からなかった。

 

直後に後悔なんぞ残っていなかったのに、後になればなるほど後悔らしいものが出てきてしまう。

 

本当のことを言うと、あれから毎日思い出しては泣いている。

 

生まれてから24年間、本当に最期の最期までとてつもなく愛してくれていた存在が居なくなるというのは、こんなに悲しいことらしい。

 

生きれている自分が不思議なくらい、小さい頃からこの日だけは来て欲しくないと願って生きてきた。

 

この人がいなくなったらあたしの歯車が止まるとか、おかしくなるとか思ってた。ずっと小さい頃から。

 

でもおかしくなんなかった。悔しい。

 

おかしくなんなくて、なんならすぐに自分の生活が始まった。いつも通りに始められた。それがもうおかしい。

 

悔しい。ならばおかしくなってしまいたかったくらい、でもおかしくならなかったし、ちゃんとあたしはあたしだったし、なんならその辺の人よりちゃんとしている。

 

止まるだろうと思ってた歯車は回り続けている。思っていたのと違った。

 

想像することが怖すぎて避けてきたし、認められなかったのになぁ。

 

あたしのこの思いの真ん中には「おばあさんに愛されたい」と思っているんだと思う。

 

人生の中の至るところに散りばめられた些細な思い出の細部にあった愛情を、何気なく全身で浴び続けるってこととか

 

手の感触とか、眼差しとか、声とか、空気とか、全部あたしにとっての愛情のあり方として記憶されていることとか

 

もう悔しい。叶わないことが悔しい。誰がなにをどう頑張ってもお金があっても何があっても叶わない。

 

あっという間だったな。生まれてから今まで。

まだまだあるけど、きっとあっという間に長かったって思うんだろうなぁ。

 

そして死ぬ事は本当に幸せな事なんだろうなぁと思うし、今までやってきたことが全部分かることでもあるんだろうなぁと思えるようになった。

 

愛というのは誰にでも捧げるはずで、あたしはその片棒を担いだんだ。2019年の夏に。

 

ほとんど今年のあたしの思い出は、あなたとの時間です。旅行に行ったことでも、引越したことでも、仕事でもなく、大学でもなく、

 

本当に数ヶ月一緒にいた時間の中で、つくった最期の思い出で。

 

雨の夜中の散歩とか、トイレ行ったり、病院行ったのに抜け出して勝手に帰ってたり、汚い部屋見せられたり、うちの庭で土いじってたり、歩けるのに歩けないふりしてたり、ご飯食べないって怒ったり、夜中に何度も起きてたり、あたしの服隠してたり、同じこと何度も言ってたり、夜中に外出る準備して車椅子に座ってたり、そんな事がもう全部全部全部。

 

はぁ、疲れた、泣きすぎた。目になんか入って痛い。鼻水もつまった。

 

今日はいつもよりいっぱい思い出したら、スカッとした。すっきりした。

 

たくさん泣いてたら頭が熱くなって、きゅっと締め付けたらゆるくなって、なんだかリラックスできて落ち着いた。

 

わたしは2019年嫌いだけど、好きだ。振り返りたくない事実が邪魔するけど、あたしはちゃんと悔いなく良い決断をした。

 

そして周りにいる人達が、あたしが発する言葉の、それ以上の意味を汲み取ってくれて行かせてくれたことが何より。

 

素直に色んなこと言えなかった、できなかったことはかっこ悪いし振り返りたくはないけど、本当にありがとうございます。

 

もう寝ます。今年もよろしくお願いします。

 

 

 

宝くじが当たったら「水泳」がやりたいと、泳げないあたしが思った。

 

みなさんこんにちは、あべあいりです。

 

前回の1ヶ月スクワットチャレンジ記事の掲載から

 

monmonmon.hateblo.jp

 

結構反響がありまして。わたしの周りでは筋トレを始める人が急増中でございます。笑

 

 

そんなわたしもスクワットチャレンジに引き続き、

腹筋チャレンジをはじめて2週間が経ちました!

 

そんな健康志向な生活をはじめて1ヶ月半で、自分の思考も少しずつ変わってきているのかも?!と思った出来事があるので紹介します。

 

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ウォーキング中はスマホ見ないようにしてて、ひたすら考え事をしています。

 

先日宝くじが当たったらどうするかを考えてみたんです、真剣にね。

 

宝くじが当たる=お金も時間も十分にある状態になったら何がしたいか…

その時、咄嗟に「水泳」がしたいなと思いました。

 

なぜなら、元々あたしはカナヅチで泳げなくて。

時間もお金もあるんだったら「水泳」をちゃんと習って泳げるようになりたいなとおもったんです。

 

だっていくら金を積んでも、泳げない人が泳げるようにはならないじゃないですか?笑

 


そこで、ひとつ気付きを得て。

 


「できないと思っていたことができるようになる喜び」ってお金よりも価値があることなんじゃないかと思いました。

 

泳げるようになるとか、フルマラソンを完走するとか、お金じゃ買えないし、自分で頑張って達成したから意味がある。

 

なんならお金がなくとも実はできることだから、今からでもできるんだよね。笑

 


大金を持ったら選択肢が増え、できることも増えるような気がしていたけど、そんな都合の良い話はない。張りぼての万能感を得ても満足はしないな、と思いました。

 

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あたしは今、筋トレからはじまり、自分に良い習慣をつくりたい人を集めたSlackを運営しています。

 

 

このコミュニティには少しずつ可能性を感じはじめていて、

このポジティブなサイクルが続けばいいな〜と思っています。

 

以上のことを、このコミュニティに落とし込むと

「できないと思っていたことができるようになる喜び」を、分かち合えたり、

応援しあえて、お互いに頑張れる環境をつくろうとしています。

 

その関係こそが資本だということを、小さくてもいいので、ちょっとずつ体現できたらいいなと思います。

 

Slackは一旦締め切っていますが、来月15日からまた新メンバーのタームをスタートしたいと思いますので、来月頭に改めて告知したいと思います!