「京都」で わたしは優しくなれた
東京という場所にいると、
だんだんと腰が重たくなってきませんか?
とても満たされる場所にいると、人って居心地良いみたいで。
だんだん動かなくなります。
わたしもそうでした。
「お金もかかる、時間もかかる、できれば東京で済ませたい。」とか。
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2018年の春にわたしは、人知れずひっそりと挫折をしました。
自分が「やりたい」と思えたことがあって、
素敵な友達を誘って仲間ができました。
だけど、たった数ヶ月で仲間はいなくなって、
一人では続けることが難しくなりました。
とっても悲しい気持ちになりました。
仲間に辛い思いをさせて、その違和感に気づいても
わたしはどうすることもできなかった…。
どうして自分の周りから人が消えていくんだろう。
わたしは「優しい人」ではないのかもしれない。
人が本当はどうして欲しいかなんて、
言葉で言われないと全然分からない。
どうしてこんなに自分は不器用で、コミュ障なんだ。
わたしは大切な人を泣かせてしまう。
自分のやりたいことをやればやるほど、誰かが苦しんでしまう。
自分の人間性の未熟さを思い知って、
自分を変えなければやりたいことができない。
社会の問題なんかを解決する云々以前に、
わたしは自分自身の問題と向き合わないといけない。
***
そうしてもがきながら、
出会ったのが信頼資本財団の「A-KIND塾」と
PaKTの松榮秀士がやっている「月一衝動学舎」でした。
A-KIND塾の説明はHPから拝借します。
思いを形にする技術を学ぶ塾であり、そのために「KIND=親切な、優しい、思いやりのある、親切で、心からの」という目には見えない、耳には聞こえない価値を形にし、売りて良し、買い手良し、世間良しそして未来良しという「四方良し」 の持続可能な社会貢献をすることで、企業の生存確率をあげ、利益を上げるための原資の信頼関係を増幅することを学びます。
ビジネスの原点は「人の心を掴む」こと。KINDの要素は人しか作れない。 A-KIND塾はその拡大再生産を学び合う場です。
しゅーしさんが始めた月一衝動学舎は
月に一度語って、動いて、語って、動いて…
ということを半年間繰り返していくだけのプログラム。
一人ひとり違うテーマを追っていく、
わたしは「『楽しい』を最大化する関係性の結び方」
をテーマにしました。東京・島根・兵庫・大阪など
全国から集まった5人のメンバー。
挫折した経験を肥やしに変えて成長していく舞台として
わたしは京都にあるA-KIND塾と月一衝動学舎に通うことに決めました。
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正直言って
「お金もかかる、時間もかかる、体力もいる」
それでも"抱えている生きづらさをなんとかしたい”
そのためにはお金も時間も体力もかけて良い、決意でした。
「他人の他人は自分」「大局着眼、小局着手」
「皆師匠」「コミュニケーションは血液」
「信頼は呼吸するのと同じ。
吐ききったら勝手に吸いはじめる
だから自分の持っているものを
すべて人にあげなさい」
強い言葉に胸を打たれていく時間。
A-KIND塾での学びは月一衝動学舎で落とし込まれ
日常生活で実践していく喜びで心いっぱいになっていく…。
そして1ヶ月に一度、振り返って考えていくと
まるで状況が好転している、ということが毎月起こりました。
***
先月で月一衝動学舎の学びのタームが終了した。
半年前に抱えていた不安、劣等感、無力感、
「人に辛い思いをさせてしまう」辛さ・悲しさ、
すべてをひっくるめた”生きづらさ”が
スーッとなくなっていました。
今のわたしなら、半年前の自分に
「大切なのはそこじゃないよ、こっちだよ」
「もっとこうしてみたらいいよ」と言えちゃうんです。
視点が変わると思考が変わります。行動が変わります。
半年前、思考に伸び代がなくなったのは、ただただ
センスのない視点で人や状況を見ていただけ。
他人に自分の不甲斐なさを投影していたこと。
余裕がなくなったのを他人のせいにして
しなやかになれなかったこと。
誰かのせいにして学びの機会を失くしていたこと。
もっと違和感を感情や言葉にして共有してよかったこと。
今は周りにたくさんの仲間がいます。
大親友がいます。
わたしが大変なときに、集まって元気付けてくれて。
そっと肩に手を添えてくれたり、ハグしてくれるような人達。
勝手に孤独になって固くなっていた心に、
ちゃんとアクセスしてきてくれる素敵な人達です。
そして、みんなどんなにダメな自分でも「素敵だよ」と言ってくれます。
ああ、こんなに嬉しいことはないな、と何度嬉し泣きしたかな。
頑なに心を閉ざしていた人が心開いてくれた瞬間。
わかり合えないんじゃなくて、頑張っていることを
認めてあげられてなかっただけだと気づけた瞬間。
「好き」という気持ちを伝えてより好きになれた瞬間。
この半年間で築き上げた瞬間の積み重ねによって、
わたしは自分の人生を愛せるようになり、
人からの優しさをたくさんもらえるようになって、気づきました。
以前と比べ物にならないほど、優しい人間になれていたことに。
月一衝動学舎@京都の半年間の学びのタームが一旦終わりました。正直言って感動してます。全国から集まってしまった5人のメンバーと低迷した時期も乗り越えながら、月一夜な夜な語り合っただけ。半年前の生きづらさが嘘のよう。「自分を自分で育てた強さ」を感じた。 pic.twitter.com/ZSxKiukZQ1
— あべあいり (@Airi_abe) 2018年10月26日
「自分で自分を育てた」経験は人を強くする。
どんなことでもいい。学問じゃなくったっていい。
だから「学び」に距離を言い訳にしないで、貪欲に優しく生きよう。
【後輩たちに告ぐ】意識が低くても誰もあなたを責めない。
この前、大学の同期の友達とお酒を飲みながら
「 10年後、もし大学生と話す機会があったら・・・」
という架空の状況で何を話すかという妄想をしたんだけど。
ふたりそろって
「何かしようなんて思わなくて良いから、たっぷり学問しよう」
みたいなニュアンスのことに意見が落ち着いた。
私たちの最大の後悔は
「何かしないと」という焦りに追いかけ回されたこと。
「意識は高く、何かしようよ」と煽りに煽られ、自分を見失うくらい吹き飛ばされたこと。
器用にできてしまったが故に「そのつもり」になって、大学生である時間をちょっとずつ浪費してしまったこと。
本当に悔やんでいるってほどではないにしろ、やっぱり大事な時間で。
もっともっと愛おしい思い出をたくさんつくれたし、身になる武器を学ぶこともできた時間である。
もちろん、これから挽回する。だけどやっぱり大学生って時間は尊いもの。
だからちょっと口すっぱくしながら話そうかなと思う。
わたしたちは入学早々「君たちは世の中のユーザーにはなるな」と言われる。
新しい社会をつくっていく側になるんだと講義を受ける。
もちろんそんなことを言われたら、かっこよすぎるやん。
脳天をぶち抜かれて、そんな未来の自分に恋い焦がれながら、必死でユーザーではなく自分がつくっていく側に。という思想で物事を進め始める。
その間に色んな人に出会い、色んな人から同じように刺激を受けて、
自分の興味の方向に猪突猛進していく。
それでいい。それでいいけど、それに疲れてしまう人だっている。
疲れてしまう自分を否定しなくていいよ。
わたしたちは、この時に疲れている自分を否定して気のせいにして頑張ってしまった。
だから、ちょっと後悔しているんだよね。
もっと自分に正直になれていたら、もう少し早くじっくり学問を味わう時間をとれたのに。
大学の図書館やデータベースは本当に豊かで、個人では到底手が届くものではない。
何冊本を借りて読んだんだろう。どのくらいデータベースを使いこなしているんだろう。
本は読むならもっと早い方がいい。生涯に読める書籍や文献の数は読み始めた時が早ければ早いほど多いじゃない?
そういうことを今になって後悔しても遅い。
先生たちが言っていた「ユーザーになるな」は本当にそうだと思う。
でも別に遅咲きでもいいんだよ。
そういう教育を受けてきた私たちは完全なるユーザーにはなり下がらないだろうし、もっと焦らず胸を張って学問を吸収したっていいんだよ。
まだまだこれからなんだから。だからもし、いまちょっとだけ苦しいと感じている人がいたら
それは素直になっていいし、「今じゃなくったって大丈夫。」と自分を信じて、自分に約束していい。
その強い決断に私たちは誰も責めない。
いわゆる意識が低くっても、人生最大級に楽しくて学びが多い毎日を過ごせていて、その日々に自信を持ってさえいれば、誰もあなたをダメな人とは見ない。
毎日朝まで飲み歩いてもいいじゃない。色んな大人に出会えるじゃん。
一日中映画を観てたって最高じゃん。在学中にアカデミー賞全部観よう。
意味もなく旅に出たって学べることは沢山ある。優しい人間になれるよ。
ぼーっと過ごすのは普段体と心が疲れている証拠。声なき声に気づく時。
だから今の自分をただただ周りと比べて責めるんじゃない。
そんなつまらない、しょーもないことで自分を責めているなら、
今すぐその場を飛び出して、海に行って、泣き叫びながら吐き出してこい。
そして最高の気分を取り戻したら、紙とペンを持って。
抱えているものを書き出して、片っ端から捨てて別れを告げて、
自分が泣かなくて良い環境をつくろう。
自分が笑顔で過ごせる毎日は、今この瞬間からつくれる。
って実はわたしは知っている。
そういうことを大学1年生の頃に先輩から聞かされていたら、もう少し早く救われていたんだろうなと思うんだよね。
一部の人には「うるさい」と思うような言葉だけど。
それでも思い切って、昔の自分のことを思ってこんな話をしてみました。
つらいなあって時はいつでも連絡してね。
おしまい。
結婚について考えたこと
高校の時から憧れて大好きだったお姉ちゃん達(5人くらい)が30歳を迎えてから5年も経った。
30歳になりたての頃はみんな若干結婚を焦ってる感じがあり、32くらいで焦りが一旦落ち着き、33〜34くらいでみんなびっくりするくらい良い人と出会ってる。おそらく来年にはみんな結婚するだろうなーと思ってる。彼氏さんも一緒に3人で食事したりする時にいつも思うのが、2人の間のコミュニケーション量が半端ないこと。
この前経営者で2児の母から「あいり、コミュニケーションは血液だよ。そして質より量を大事にね。」と言われた。(彼氏ができたら沢山話したいなぁ)つまり、簡単なようで難しいことだと思うんだけど、みんな素敵な人と出会ってる。
そしてよく姉さん達に言われるのが「あいりもやりたいことをやっちゃうタイプだから、結婚遅くなるだろうけど、絶対に焦って結婚しちゃダメだよ」と。
何やら聞いていくと「未婚」のステータスは30を過ぎると「未熟者」として見られるらしい。
どんなに仕事が順調だとしても、結婚して家族を持つことができてないと、やっぱりどこか劣っているように見られるんだとか。
自分のやりたいことをやってきた人にとって、そんなことで未熟者と思われるのは心外にもほどがあるよなあ。
だからこそ一番はそのプレッシャーに耐えられなくなって結婚を焦るらしい。
え、こわくね?笑
恐ろしすぎる。。。笑
わたしは特に差し迫った結婚願望というのはないんだけど、漠然と「わたしの場合も結婚は大変だろうな」と思う。そもそも20代のうちに結婚するつもりはなくて、全然遅くても良い。(子どもは3人くらい欲しいけど)
けど、そういうプレッシャーと戦っていける自信が今のところない、、、
死んでしまいそう。笑
世の中の女子はただ幸せになりたくて結婚するわけじゃない。30歳になる前に結婚したがるのは、そういう大きなプレッシャーの渦に飲み込まれてしまわれないように結婚しているのだと。つまりわたしは納得してしまった。というかやっと分かった。
それでもやっぱ結婚を焦る気持ちはない。そもそも、わたしはまだまだだ。
わたしの恩師(男性)は35歳で0歳の子どもがいて(スマホの待ち受けの子)、NPOの経営者で、大学院1年生なのに、コミュニティデザイン学科で大学の先生をしている。そういうの見てるとなんか人生なんとでもなる気がして来るし、彼が大学に入学したのは23歳の時で、卒業したのは27だった。28歳の時に出会って、それ以来ずっと「あいり、俺なんか23で大学だぞ?だから大丈夫っっw」と言われ、それ以来、わたしにとっての癒し系として君臨している。
そのまた恩師は半年で社会人をやめて海外に行き、帰ってきた25歳の頃に出会った。ずっとパイロットになりたいと話していて、27歳で1年半ほど世界に旅に出かけた。29歳でパイロットになるためにカナダに行った、だけどダメで帰ってきた。その彼と前者の恩師が手がけている仕事を去年ちょっとだけ手伝ってから、わたしの価値観がガラッと変わった。たぶん彼の人間としての深みが増して、その影響をもろ受けたんだと思う。
そういう人達をみてるからやっぱり、まだまだだ。結婚はさておき、その時々の出会いをただ信じたら良いと思う。てかそれしかない。笑
ああ、やっぱ今はどう考えても結婚とか無理!!
彼氏はひっそりいてほしい!
以上、結婚について考えてみた。