あべあいりの悶々MON!

美味しいものをたくさん食べてすくすく育ちました。 「書いて育つ子」になるために、悶々をもっと 言葉にしていきたいと思います。ときどきポエマー。

なんだって今日も朝は美しい

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ゆく日もゆく日も

まいにち冷たい朝に起きて

果たしてこの努力がなにになるの?

 

と思いながらも、すり硝子の窓に

外の様子が映るとどうしてもそちら側へ

行きたくなるのはなぜなのだろう?

 

着替えて、顔を洗って、化粧をして。

余裕があれば珈琲が飲みたい。

でも願いは叶わずギリギリに家を出て

 

はぁ、と息を切らしながら電車に乗り込む。

 

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またゆく日は

 

冷たい朝に畳の部屋の布団の上で目覚め

深夜にそっと帰ってきたのであろう

頭まで布団をしっかりかぶった大きな人を確認し

 

あぁ、このまま寝ちゃいたい。

なんて思いながら襖の先にいる早起きな人に

「おはよう」と挨拶をし

 

毛布にくるまりながらソファに座り

半分眠っている中「白湯ちょうだい」

と頼んでみて。

 

親切につくってくれた白湯を飲み込んだら

また着替えて、顔を洗って、化粧をして。

 

よし、もう出るか。と誰もいないリビングの

電気を消して、布団を片付け、荷物をまとめる

 

まだまだ気持ちよく眠っている人をまたいで

キンと冷えた外に出ると。

八百屋に荷物を運ぶおばちゃんが道を邪魔したり

空にポッと富士山が見えたり

 

そんな朝の電車のホームは素敵で

生活を感じさせるマンションのベランダと

枯れた木々の隙間に、人が堂々と通る青い橋。

 

そして電車に乗り込むのだ。

 

なんだって、今日も朝はぼんやりと美しいのだ。

 

体も心も女だけど、女の子として生きなきゃダメですか?


わたし、ずっと抱えている

「嫌なこと」があるから言いたい!

 


「女の子らしく」することや

「女の子」として比較されること

それらが気持ち悪くってむず痒い!

 


「女の子=かわいい」であるとする考え方は、

古いのかもしれないけど実際にはあると思うの。

 


そこの軸に自分を当てはめて考えることが、

この世で最も女性の肯定感を剥いでいる気がする。

 


それくらい誰かと女らしさ、可愛らしさを

競おう・比較しようとする事が気持ち悪い。

 


なんでか。

そう思って、しっかり考えた。

 


「その市場で自分の勝ち目がないから?」

「可愛い=お金をかけてることに繋がるから?」

「肯定感低すぎて素直に可愛いを受け取れないから?」

などなど…考えたくもない痛い事が沢山でてきた。

 


血ヘドを吐き散らしながら考えた結果

「かわいい女の子を目指しているわけじゃないから、そこだけで比べられたら腹が立つ」

ところにしっくりきた。

 


かわいい女の子を見たとき、

「あ、かわいいね!」と言えるのは

自分とその子が全く違う世界を生きている

と認識しているからなの。

 


そう思えなければ、嫉妬嫉妬嫉妬の嵐で

この地球はたいh…(ry

 


別に全女子がいわゆる「女の子」を

目指しているわけじゃない。

 

 

 

◇分かっていたいポイント①

「全女子がいわゆる女の子になりたいわけじゃない」

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でも、、、

とってもめんどくさい事に

私たち女子の心は「女の子」である

という大問題がある。

 


外見や服装、仕草や行動など

特に可愛いとかは目指してなく、

ボーイッシュでサバサバ系かな~って

見た目でも中身は「女の子」そのもの。

 


だからね、じぶんなりの

身も心も綺麗でありたい、

という気持ちは十分にある。

それなりにこだわりを持って頑張っている。

 


それを褒めてほしいの……!

うるうる🥺しながら待ってるのいつも!

 

 

 

つまり、その人なりの

「かわいい」があるってことなのだ!

 

 

 

◇分かっていたいポイント②

自分なりの「かわいさ」「こだわり」を持っている!それを褒められたい…!(あぁ、もう気づいて!)

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さらにこの問題は…

複雑だし、しなやかだし、

まどろっこしいもんなんだ!

 


と理解してほしい。

 

 

 

複雑さを詳しく説明すると、たとえば

「ここは女の子らしくありたい」と思うシーンやポリシーがあれば「ここは男の子らしくいたい」という瞬間もある。

 


その日の服装やメイクでも変化する。

わざと変化させて引き締める時もある。

そういう使い分けを常にしながら強く生きているのだ。

とてもしなやかにね!

 


だから時々「女として〇〇」系の言葉はまじf**kだと思う。

個人的には凄まじくドロついた感情を抱きつつ、

「あなた可哀想な人だわね、オホホホホホホ」

と思うようにしている。

 


例)

「女としてそれはないわ…(素直になれよ的な)」

→はい?あなたは何様ですか?

 


「女として見れない」

→はい、また比較~。見んなっ!あほ!すけべ!

など。

 


わざとこちらがそうしている事もある。

そうじゃないと、自分の中身で評価されない

ような気がするから。

 


一番タチが悪いのは

逆にその隙間に入って、分かったふりして

中身の女の子を傷付けてくる言動をする人。

 


まあ、それはさておき。

 


◇分かっていたいポイント③

女にもなれるし、男にもなれる。

それらを上手に使い分けながら生きている。

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もちろん素直になりたくても、

いつもと違う自分の一面を出すことは

とても緊張するし、なかなかできないって事もある。

 


でもそういうのを、無理矢理に出さなくとも

あなたは十分女の子として生きている…!

 


奥深くにしまっちゃった、か弱い女の子は

心から信頼できる人にしか見せられない。

そう!大事な大事なところなんです。

 


だから簡単に「女の子らしさ」を

「かわいい」に押し当て込んで、

表面的な、見た目や言動で人を

判断してほしくない。

 


そしてちゃんと人としての、

こだわりを見てほしい。

いろんな「かわいい」がある。

 


そう思える人が増えたらきっと、

なんだかホッと救われた

気持ちになる女の子がいるはず。

 

男の子だって多分そういうところもあるはず。

男らしくないとか言われて傷付くとかね。だからどんな事でお互い嫌な気持ちになっているのか、ちゃんと話したい。

 

外見も内面も、誰だって中性的に男と女を行ったり来たりしていい。むしろそうやってしなやかに生きた方が、生きやすいと思うんだ。


人を型に押し込めない。

見た目で判断しない。

なんて小学生くらいで教わることが

できていないのが世の中で。

 


そういう人として基本のキをわきまえて

行動するのが大人なのだなと思った今日この頃。


おしまい。

 

カメラマン 山田浩太

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「大好きな人たちと長い時間を過ごせるのは最後だ」と思ったら、旅に出てた。

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同じ家で暮らしているその人達とは、

ふつうの友達と比べたら一緒にいる

時間は長いと思います。

 


でも一人一人が取り巻く環境は

年を追うごとに変化するもの。

引越すかもしれないし、

時間が取れなくなるかもしれない。

 


全員が大体同じような時間軸で

生きていることなんて奇跡に近い。

 


そう思ったら一分一秒が愛おしくて。

ただ刻一刻と変化する状況を飲み込みながら

チャンスをずっと狙っていたのです。

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その大好きな友人たちの人間性に浸り、

それぞれの絵の具を混ぜ合うような旅が

したかったのです。とても。

 


仕事にも追われず、自分達のタイミングで

生きて、食べて、笑って、眠って。

今の私たちにとっては日常の延長線上だけれど。

 


「この人達との時間を楽しむ」と

それだけに意識できる旅という手段は、

とても幸せで活力を奮い立たせてくれました。

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時に互いに傷つけ合うこともあるけれど、

このコンテクストが修復してくれるはず。

 


かけがえのない思い出を臆することなく、

人との間に描いていくことが関係性を深めるんだな。

 


奥深くから繋がりを感じられるから。

何があっても乗り越えられる関係性は、

お互いの精神的なセーフティネット

なるんだと思う。

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死ぬ時に持っていけるものはお金でもなく、

名声でもなく思い出だけだと言うけれど。

ちゃんと魂に刻み込むような記憶を

自分でデザインして進んでゆく。

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長期休暇を取ることは働き始めたら、

むずかしいよりも、めんどくさくなる。

 

誰かに引き継がないといけなかったり、

休んだ分の生活は大丈夫かな?とか。

 

だから「これが最後だな」なんて

思ったりもする。

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本当は何歳になっても

こんな風に楽しむことはできる。

 

だからみんなにはいつも言う。

「一生青春だよ」と。

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感動できる人生をこれからも歩みたいなぁと

幸せだなぁと思う旅だったのです。

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また15年後に台湾で集まりたいね、なんて

屋台でにやにや話をしました。

また行こうね。



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